#5 [STUDY] 長縄跳びとデザインの力 / Design, When Everybody Joins the Long Jump Rope
地球規模の課題に、地域で取り組むことの意味とは何なのか。第53次南極地域観測隊への参加を経て、現在は硫黄島に移住し、リトリートや気候変動対策・SDGsに関わるさまざまな実践を行う株式会社musuhi CPO(Chief Planetary Officer)の大岩根尚さんが考える、サーキュラーデザインの可能性とは。
What does it mean to tackle global issues locally? A former member of the 53rd Antarctic Research Expedition and a current resident of Iwo Jima, an island off the coast of Kagoshima, Hisashi Oiwane, CPO (Chief Planetary Officer) of musuhi Corporation, an organization that provides various retreat services and leads several local initiatives related to climate change and SDGs, considers the potential of circular design.
「でっかい氷山が出たよー!!」甲板にいた先輩が研究室の扉を開けて教えてくれた。モーリシャス島を出航して2週間ほどが過ぎ、南極海に入ってしばらく調査航海を続けていた僕たちにとって、氷山発見のニュースは既に新鮮味を失っていた。しかし、窓からちらりと目に入ったその氷山はこれまでに見たものとは明らかに違っていた。これまでに見た小さな山のような形ではなく、視界を延々と遮る「壁」として、左舷前方に存在していた。
艦橋に上がってレーダーを見ると、氷山の長さは見えている部分だけで約3km。奥行はどのくらいあるのだろうか。高さは目測で100mほど、ということは深さ1kmほどまで根を張っていることになる。そんなに大きなひとつの物体が自分たちの目の前に存在し、風に押され海流に乗ってゆっくりゆっくりと動いていく。その圧倒的な存在感にただただ興奮しながら、僕たちは氷山の壁を眺めていた。
この海域の氷山は、南極大陸に降った雪が数千年〜数十万年かけて降り積もってはゆっくりと流動し、大陸の沿岸部から流出してくるものだ。時間や空間のスケールは違うが、陸地に降った水分が流れ出すという意味では川と同じ原理で動いている。しかし、この氷山はあまりにも巨大だ。海洋の温暖化によって棚氷が崩壊し流出したものだろう。
そして、これほどまでに巨大な氷山の流出が続く温暖化の深刻さが、震えるような実感を伴って湧き上がってきた。「百聞は一見に如かず」というと陳腐な表現になってしまうが、研究者として大量の文献を読み込み知ったつもりになっていたことと、実際に起こっていることを体感することのギャップを思い知らされた体験だった。
いま僕は、研究者を辞めて起業し、個人、企業、自治体に伴走しながら、さまざまなスケールでの気候変動対策やSDGsの導入・実践を行っている。その取り組みのひとつが鹿児島県大崎町における脱炭素戦略の策定と対策推進である。町役場の全ての課から職員の方々に集まっていただき、町の将来にとって必要な脱炭素アクションを一緒に考え、地元の方々の協力を得ながら進めている。
時代の後押しや担当職員の努力もあり、複数年度にわたって取り組ませていただくなかで、ある出来事があった。それは畜産業者の方と、脱炭素に資する畜産飼料への変更について話をしたときのことだ。
上に書いたような危機感の実感も含め熱を込めた話を一通り聞いていただいた後に、短く言われた。
「(飼料の値段が)高くなければねえ」。
もちろん自分たちも経済合理性を考えていなかったわけではない。しかし長期的な目線でと言っても、「今」の経営が必死なところに数十年後を考える余裕はない。物価が高騰している昨今の事情を考えると当然のことだ。自分の中のストーリーと、地域で起こっている現実のギャップを思い知らされた体験だった。
職務や興味から専門的・大局的・長期的な目線で考えている(と自認している)我々と、長期的に脱炭素に向かいたいという願いは共有できつつも、そのためのアクションを「今」始めることができない地域の間には溝がある。そして、その間での綱引きの結果に全員の将来がある。
ここで考えたいのは、もっと我々の筋力を強くして綱引きに勝とうということではない。例えば綱を長縄の代わりにして敵味方入り乱れて楽しむように、新たなコミュニケーションを産みながら、ゲームそのものを変えるような転回を持って全員で勝ちにいく(勝ちの定義すら変えてしまう)戦術を、どうやって全員で選択できるか、ということだ。
僕が期待したいのが、デザインの力だ。一般の方々が脱炭素や循環型/環境再生型の生活に自然とシフトできるように、プロダクトはもちろん社会や制度をデザインすることにぜひ力を使っていただきたいと願う。
人口が多い都市部とは違い、地域コミュニティでは人口が少なくサービスが脆弱な分、社会や環境という経済合理性以外のものに頼って暮らすことも多い。価格だけでなく、楽しさや便利さ、地域の慣習や人間関係、そして立場など、数値化できないさまざまな視点が地域にはより濃くある。そのため、都市部に住む人々とは判断基準が異なることもしばしばだ(しかし地方に暮らす方が全体性のあるwell-beingを実現しやすいし、僕はそこに希望を感じている)。そのような多様な価値観を、「美しさ」や「楽しさ」としてサービスや仕組みの中に織り込める可能性があるのが、サーキュラーデザインではないだろうか。
「経済合理性が優先されるあまり、社会や環境への歪みが大きくなっている」という資本主義の現状があるとするならば、社会や環境とのバランスをとらなければ成り立たない(お金がなくても何とかなることもある)地域での持続可能性を考えることが、その解決の大きなヒントになり得る。例えば、飼料の価格が高くても購入してもらえるような副次的な価値をデザインの力で設計できないだろうか。
地域は、このように現実的で解決が必要な課題に溢れている。Circular Design Praxis という素晴らしいこの場だからこそ、もっと地域の現場に足を運び体感しながら、より広い視野・視座にこの取り組みを位置付け、生態系や地域の繁栄のための手段として、サーキュラーデザインの力を使っていただきたいと願う。
Text by Hisashi Oiwane
地域に暮らす人の経験値や直面するリアリティはさまざまで、全員の目線を合わせるのは容易ではない。しかし今、地球より寿命が短く有限な時間を生きる私たちには、なるべく良い状態で環境を次世代に繋ぐというミッションが課されている。そうした中で取り組むべきは、制度をつくる側と制度に従う側に分かれての綱引きではなく、一緒に長縄を飛ぶことだという表現は言い得て妙だ。サーキュラーデザインが描く理想的な未来に目を向け、その意義を説得するだけではなく、その大縄跳びの輪にどれだけ多くの人が加われるのか? 呼吸を合わせてともにアクションを起こす中で互いの状況に耳を傾け、最適な方法が見つけられるか? 持ち手も跳び手も入れ替わり、これから生まれてくる人も加われるような、それ自体がサーキュラーで意義ある時間を設計できるかが肝になってくるのだろう。(高坂)
What divides the so-called “experts” and “non-experts”, and how does one overcome this ostensible rift between these two groups? These questions constitute a major challenge for Oiwane’s activism around decarbonization in Osaki, a town with a population of about 12,500 residents, located in Kagoshima prefecture, well-known for its high recycling rate of above 80%. As a former member of the 53rd Japanese Antarctic Research Expedition, Oiwane is unequivocally an expert, equipped with a thorough understanding of, and a firsthand encounter with, the enormity and severity of the impact of the climate crisis on the natural world. For the experts, the climate crisis is not a distant future that may or may not happen, but a reality that has already happened upon the human race (and will only worsen with the passage of time if we don’t act). But for us non-experts who haven’t (and probably will never) read through even a single IPCC report or come across a colossal iceberg just floating in the ocean (as Oiwane had in one of his expeditions), the climate crisis is some abstract “fact” that we hear in the news. While most of us are well aware that the climate crisis is an important issue of our time (“since so many scientists seem to be saying so”), we are also busy with our daily struggles. As the livestock farmer whom Oiwane tried to persuade to switch to a more eco-friendly and sustainable fodder succinctly put it, “I would make the switch if (and only if) it makes economic sense.” Because the climate crisis is an abstract and distant future for us non-experts, the only basis for judgement we have recourse to is whether or not the thing in consideration makes economic sense in the short-term.
Oiwane suggests that if the so-called experts wish to alleviate the aforementioned disconnect and bring about action that is more collective and meaningful, they need to stop playing tug-of-war with the non-experts, i.e. trying to forcibly bring them on board by bombarding them with scientific facts and moral edicts. Instead, they should change the game entirely so that non-experts are on the same side as the experts. In the words of Oiwane: Less tug-of-war and more long jump rope. Oiwane further suggests that this is where the implementation of circular design might potentially have a significant impact; to weave together an alternative ecology and construct a corresponding narrative that brings everyone into the jump rope, and in the process dissolving the dualistic distinction of expert/non-expert. (Edward)
大岩根 尚
環境活動家 / 株式会社musuhi 取締役 / NPO法人薩摩リーダーシップフォーラムSELF 理事 / 大崎町SDGs推進協議会サーキュラーヴィレッジラボ所長
九州大学、東京大学で地質学、海洋地質学を専攻し博士(環境学)の学位を取得。その後、国立極地研究所へ就職し、第 53 次日本南極地域観測隊として南極内陸部の気候変動に関連する調査に参加。帰国後、 2013 年 10 月から鹿児島県三島村役場のジオパーク専門職員として着任。2015 年にジオパーク認定を取得後、2017 年 3 月に三島村役場を退職。硫黄島に移住し起業。 気候変動対策の書籍「DRAWDOWN」「Regeneration」の日本語訳、カードゲーム2030SDGsを用いたSDGsや気候変動対策への導入など、企業、自治体、個人のサポートや啓蒙活動を行う一方で、自身は人口120人の離島である薩摩硫黄島で生活し、自然ガイドや田舎暮らしをを通じて地球との共生を肌感覚で学ぶ体験を提供。地球から個人まであらゆるスケールを繋ぎ、さらに内面も含めた持続可能性を探求している。