#6-1 [DIALOGUE] 不揃いな竹の建築から考える、量からXへの移行 / Transitioning from Quantity to X through Re-working Motley Bamboo into Architecture 岩元真明×水野大二郎対談 [前編]
古来から身近な素材として、竹はさまざまな用途に利用されてきた。そんな竹を使った建築に取り組む、九州大学芸術工学研究院助教の岩元真明さんと、サーキュラーデザインプラクシス・ステアリングボードの水野大二郎さんによる本対談。不揃いな竹素材を皮切りに、茅葺きとクラブ、タクティカルアーバニズムまでを縦横無尽に語ります。
As a familiar material since ancient times, bamboo has been used for a multitude of purposes. Daijiro Mizuno of the Circular Design Praxis Steering Board speaks with Masaaki Iwamoto, assistant professor at Kyushu University's Faculty of Art and Design, who is currently exploring the possibility of re-working bamboo into architecture, on a wide variety of topics from the motley nature of bamboo, thatched roofs, clubs, to tactical urbanism.
岩元:水野先生、はじめまして。私の専門は建築で、設計と歴史研究の二足のわらじで仕事をしています。建築家としてはベトナムで4年ほど建築設計をした後に日本に戻ってきて、住宅やインテリアなどの設計をしています。また九州大学の芸術工学部におりまして、ベトナムやカンボジアなど東南アジアの近現代建築史研究や、最近では福岡で活躍した建築家・葉祥栄のアーカイブ研究などをしています。
水野:水野です。よろしくお願いします。高校卒業後に渡英して、最初に勉強したのは実は建築で、その後にファッションデザインを専門とすることになりました。最初に建築を勉強したことはその後にかなり影響を及ぼしていて、製品の形状や機能の審美性の追求から、社会的マイノリティなど多様な人々の包摂を前提とする参加型の設計プロセスや設計方法論にだんだんと関心が傾いていきました。それが輪をかけて大きくなっていったのが過去20年で、社会包摂のためのデザイン、つまり人間を理解するところから、人間がいる社会や環境への理解、それらを持続可能なものをシフトしていくための設計方法論や理論、戦略まで拡張してきています。いまではファッションに限らず、さまざまな領域でデザインがどのように活用できるか、新しい生存様式の獲得にどのように寄与できるかを考えております。
岩元:だいぶ前になりますが、サーキュラーデザインのご著書を拝読しました。建築分野ではあのような書籍はまだ出ていないので、とても勉強になりました。私がサーキュラーデザインという言葉を初めて意識したのは、鹿児島でリ・パブリックと協働して、サーキュラーデザインチャレンジを実施したときでした。薩摩川内で収集された不要家具や放置された竹材などを組み合わせて、プロダクトやインスタレーションをつくってみるというワークショップでした。
もともと、ヴォ・チョン・ギアというベトナム人の建築家と協働していた頃から、竹を建材として使うことに興味がありました。ベトナムではコンクリートとレンガで建物をつくることが多いのですが、たとえばリゾートのレストランや小さなヴィラであれば竹も使える。ベトナムは日本と同じく竹がたくさん生えていて、とにかく安いんですね。長さ7メートルの竹一本が当時は100円ぐらいで手に入った。東南アジアでは森林保全が大きな課題で、木材利用に関する法規制が厳しく、木材を手に入れることが難しかったり、違法で流通していたりといった問題も起きていました。それに対して、竹は生長が早いので、サスティナブルなんですね。
そんな経験があって、鹿児島に行ったとき、放置竹林がたくさんあり、周囲の森林や生態系に悪影響を及ぼしているという話を聞きました。この問題を解決するためには、竹の使い道を考えていくしかない。たくさんの材料を使う建築に竹を応用することを考えるべきだと思い、薩摩川内でのプロジェクトを始めました。
ただベトナムとは違って、日本では建築基準法が大変厳しく、竹は建築の構造材としての使用が認められていません。そのため、大学で竹を安全に使うための基礎研究を進めながら、リ・パブリックと一緒に竹建築の可能性を模索している状況です。
竹の不揃いさと個別唯一性
岩元:近代建築では基本的に、標準化された材料を組み合わせて建物をつくるんですが、竹って非常に不揃いな材料なんですよね。根元と先っぽでも全然大きさが違うし、節の位置も一本一本違う。形も正円じゃなくて楕円だったり......と不揃いなものを使って、断熱性能や気密性能といった条件をどうやって満たしていくかが課題でもあり、同時におもしろさでもあります。
画一的な材料だけを組み合わせてものをつくるのは、すごく近代的な考え方です。近代以前の人たちは不揃いなものを使って、一生懸命ものをつくっていた。現代において、コンピューターに助けられながら、不揃いなものを使って設計し直していくのは、とてもおもしろいチャレンジですね。
水野:異なる形状・質感を有する部材をどうやって局所最適解として応用するかという研究は結構ありますよね。たとえば各部材を3Dスキャンして、どの部材をどこにどう当て込めるか、ジグソーパズルをコンピュータに解かせるアルゴリズムですね。
日本では近年、VUILDが最近リリースしたサービスEMARF scanがありますね。一般的な市場で流通が困難な木材を即時データ化し、管理・販売を可能にするデータベースが展開されています。ひとつの業者が大きな建物に多様な部材を当てはめるのではなく、複数の人が持っている余剰資産としてのばらばらの建築部材をどうやったらコモンズとして使えるのか。そのためのデータ基盤やアーカイブ、あるいはCtoCのマーケットとして構築が進んでいるのかなと思います。
数年前、一般財団法人たんぽぽの家が取り組む、NEW TRADITIONALでも似たような話をしました。新しい伝統工芸のありようを考えるとき、デジタルファブリケーションを中心とした技術の話題も当然出るわけなんですけれども、同時に、地域産業の振興を考える必要がある。そのときに結局、量産しないと儲からないビジネスモデルや価値構造では、本末転倒なのではないかと思ったんですよね。
材料や工法は地域固有のアセットとして存在していて、それを尊重しない限りは伝統工芸は成立しない。でも、そこにはスケールの限界があって、つくる人の頭数の問題だけじゃなくて、地域で育成・収容できる材料や二酸化炭素の量に限りもあるんですよね。
天然由来の材料はばらばらの色や形が出てしまう。その個別性自体を尊重し、かつ障害者就労支援という意味でも、均質=高品質という考えではなく、いろいろな形が出ることを尊重する。とにかく徹底的に個別唯一性を高めることをよしとしない限り、大量生産のロジックで回る価値構造を転覆させることにはつながらないんじゃないか。「量から質へ」とよく言うけど、「量からXへ」という移行をうまく成し遂げる必要があると思っています。
岩元:建築ではいわゆるスターアーキテクトと呼ばれる先導者がいて、それを模倣する建築が増え続ける一方で、ヴァナキュラーな建築を地道にやってる人たちもいる。そこから多様な個別唯一性を尊重するXに移行すると、スターアーキテクトとそのフォロワーという枠組みも崩れ去るのかもしれませんね。
主客を融解させる茅葺き
水野:いま個人的には、設計・施工など人為的に介入したもののガバナンスをどうするのかを非常に注意深く見ています。建築や都市計画、まちづくりの文脈では、パブリックアドミニストレーション(PA)型と呼ばれる、行政組織が全責任を負って、市民は少し参加すればいいというモデルはもう終わっていて、別のモデルが探されています。
そのなかには市民共創型モデルがあり、代表的なのが、ニューパブリックマネジメント(NPM)やパブリックプライベートパートナーシップ(PPP)と呼ばれるものです。ただこれも経済主導であったり、結局、行政が主体になっているものもあります。
そこで僕がすごく注目しているのは、建築家の塚本由晴さんがいま、なぜか茅葺きをやっていることなんです。茅葺きのツールと設計方法が共有されていて、マテリアルも近隣でとれる。つまり、行政から民間に主体が変わるといったことではなく、アクターが渾然一体となり主客が融解したような状態で、共有財産をみんなで設計する「新しい普請」が検討されているのではないか、という点です。サーキュラーデザインの話をしたときにも興味を持ってくれていたんですが、ご本人としてはそれを特別に意識して実践されているわけではないと思います。むしろ、塚本さんがこれまで推進されてきた「コモンズ」に関する実践的研究が、自ずとサーキュラーデザインに接続したのではないかと思いました。
岩元:以前、塚本先生とお話ししたときに、「これからはクラブだよ」って言ってたんですね。そのときはわからなかったんですが、いまのお話聞いていて、産官学民ではなく、共通の利益や関心によって結びつくことから新しいものが生まれる、クラブってそういうことなのかなと思いました。
水野:ヨーロッパを中心とした建築・デザインの考え方の基本って、理想的な何かを打ち立てて、それを永続させることだと思うんです。けれども日本だと「永続はなんか自信ないし、しなくていいよね」みたいな(笑)。つまり土も石も水も違うし、緯度も経度も違う。亜熱帯で自然災害などもあるため、自然界の条件や自然との関係性がそもそも違うので、おしなべて同じ設計方法をどうやって導入するかということにはならない。また、永続性がないということはつくり方や壊し方を使用者自らが習得し、つくったものを自ら回していくことによって、持続的な運用が可能になる。よくある話ですけれども、こうしたメタボリズム的といいますか、式年遷宮モデルの方が日本には適合しているんじゃないかと思います。
従来のスターアーキテクトは、最適解を出すところ、つまり形を生み出すところまでに偏重していて、その後の運用や運用期間が過ぎた後の解体や再設計の問題にまではあまり踏み込んでこなかった。であるがゆえに、いろいろなもめ事が起きていて、近代建築の名作が失われていたり、最近だと、僕が日本でいちばん好きな建築である名護市庁舎(象設計集団、アトリエ・モビル設計、1981年)が建て替えの危機にあるといった話につながるのかなと思っています。
近代以後の分業化した社会で、設計管理業務の範囲を小さくし、産業生態系全体における特定の部分だけを正当化して、循環系に代表されるような包括的連携をあまりしてこなかった。そもそも、そこまで踏み込んでデザイン教育をやってこなかった。このことを僕は教育者として反省しています。デザイン業務に携わる人は「ズームイン・アウト」を往来する力が必要です。。秋吉くんにはメタアーキテクトと散々言ってたんですけれども、産業生態系を設計対象にするスターアーキテクトがまだ出てきていないので、これに何か名前をつけるといいんじゃないかなと思っています。

タクティカルアーバニズムの先へ
岩元:ヨーロッパの建築が永続性を求め続けてきたというのは、本当にそうだと思うんです。ヨーロッパの歴史上で重要な建物はお城とか教会とか、要はずっとそこにあることを前提とした建物なんですよね。ただ、ここ10年ほどでヨーロッパも少し風向きが変わってきたように感じています。
ひとつはヨーロッパで木造建築が大ブームになり、CLT(直交修正板)という新しい技術が生まれたことで、高層木造を建てようといった動きが広まっています。また、次なるモデルを探すという意味では、2015年に、建築家集団アセンブルが、イギリスにおける現代アートの登竜門であるターナー賞を取ったことも、建築に関わる人間にとっては衝撃的でした。仮設的にコミュニティのための場づくりをして、そのままメンテナンスやコミュニティ醸成をし続ける人たちが非常に高く評価されている。最近はヨーロッパでも永続性をあきらめた、あるいは存続する時間を現実的に考え始めたということなのかもしれません。
水野:いま思い出したんですが、2016年に開催したDESIGNEAST 07に、アセンブルの人を呼んで、トークをしたんです。そうしたら建築家の藤村龍至さんが「全く新しくない、日本でも同じような動きはある」といって一刀両断してたんですけれども(笑)、イベント自体はすごく盛り上がって、そのときにヨーロッパと日本とで考えられていることに類似点があったこと自体が感動的だと思ったんです。
一方、アメリカから盛り上がりを見せた同時期の動きとして、タクティカルアーバニズムが挙げられるかと思います。これはPPPの一類型で、仮説的・実験的なもので設計主体を解体して、市民やNPO、周辺の事業者と連携しながら、公共に資するものを設計する取り組みが出てきている。これはアセンブルも一緒だと思うんですけれども、その設計主体がメッシュワーク型に移行しているところもおもしろいですよね。
ジャネット・サディク=カーンが、著書『ストリートファイト: 人間の街路を取り戻したニューヨーク市交通局長の闘い』(学芸出版社、2020年)で描くように、古くはモーゼス対ジェイン・ジェイコブスの論争に代表される「路肩は誰のものか」という闘いはいまでも続いています。ただ、よくよく見るとニューヨークはもうその先に行っているなと思ったんです。
ニューヨーク市はDesigned by Communityというプログラムを走らせています。簡単に言うと、ミニマム週4日で地域の個別固有の事象に対して取り組むデザインフェロー、つまり地元の人を雇いますよ、ということなんです。しかもこれが1時間で22ドルで、結構いい給与なんですよ。いままでのパブリックコメントや参加型予算のような形ではなく、地域における問題の専門家は地域にいるという認識のもとで、その人をどうやってエンパワーできるかを考えた結果、出てきたモデルなんだろうなと。こうした地域固有の問題を地域の観点と手法で解いていくモデルが下支えになって、地域循環が実現するようになっていくんじゃないかと感じています。
後編へ続く
時間の経過の中で全てが変化するーー諸行無常の美学は、日本人には馴染み深いものである。そこに儚さを感じながらも、私たちは変化をむしろ「味」としてポジティブに捉える向きもある。ただ、味は時間の経過によってのみ生じるわけではない。不揃いだったり曲がっていたりする状態のなかにも、私たちはよく味を感じる。
岩元さんと水野さんの対談からは、サーキュラーデザインを視野に入れた建築にはその「味」を豊かにする可能性が存分にあるように思った。竹をはじめとする自然物は不揃いで、建築素材として使うのは容易ではない。でもそれが人間のクリエイティビティによって新たな生命を吹き込まれると、他にはない味がでてきて、さらに時間の経過とともに変わってゆく。そして建築のプロだけではない、多様な人たちのクリエイティビティが重なるところにのみ生まれる味というのもある。
ちょうどその地域にあった素材、ちょうどそこにいた人、ちょうどその場所の天候や自然環境など、サーキュラーデザインでは様々なレヴェルでの偶然性、偶発性が肝となるのだ。予測しきれいない面白さが、そこにはある。水野さんが言うような「渾然一体」な状況をどうデザインし続けられるかが、これからのクリエイティブなサーキュラーデザインにとって大切なのではないだろか。(高坂)
The so-called star architect strives for permanence. He searches for the best solution at a particular moment in a particular set of circumstances, and provides a definitive answer in the form of a building that (from his perspective) hopefully lasts forever. The star architect therefore hates decay, and tries his best to avoid it.
In stark contrast to this modern value structure epitomized in the star architect, Mizuno refers to Yoshiharu Tsukamoto’s project of roof thatching, and points to how thatching roofs as a community dissolves and distributes agency among the members of the community. Traditionally (at least in Japan), roof thatching involves the entire community, installing roofs one house at a time with locally sourced dried vegetation, which then regenerates just in time for refurbishing, while the old roofs become fertilizer for the fields. In this sense, the roofs of each house can be said to form a commons, which the community must continuously look after. This collective act of creating and then maintaining a commons is called “commoning”. Commoning is thus a caring for, a relentless relating to the world, that presupposes that the world we live in and create is in need of care. This, in the context of architecture, means that in order for commoning to take place, a building needs to be a never ending project that requires the continuous involvement of the community long after its initial construction. In other words, impermanence is a necessary condition for commoning.
This striving for impermanence is of course not unique to traditional architectural methodologies in Japan. Iwamoto touches upon the architect/art/design collective Assemble receiving the Turner Award, while Mizuno brings up the Designed by Community Fellowship program launched by the City of New York. Both of these examples (among many others) represent a transitioning to an alternative value structure in which the star architect does not have the last word, but each member of the community becomes an agent of change in their own unique way. (Edward)
岩元真明
九州大学芸術工学研究院環境設計部門助教 / 建築家
1982年東京都生まれ。九州大学助教。一級建築士、博士(工学)。2008年東京大学大学院修士課程修了。難波和彦+界工作舎スタッフ、ヴォ・チョン・ギア・アーキテクツ・パートナーを経て、2015年からICADAを共同主宰。日本建築設計学会architects of the year(2018)、日本空間デザイン賞金賞(2019)、ウッドデザイン賞林野庁長官賞(2021)、iFデザイン賞(2023)など受賞多数。
水野大二郎
京都工芸繊維大学教授 / 慶應義塾大学大学院特別招聘教授
1997年渡英、2008年Royal College of Art PhD修了、博士(ファッションデザイン)。2009-13年、京都芸術大学Ultra Factory Critical Design Labディレクター(原田祐馬と共同)。このあたりからスロー、エシカル、サステナブルファッションの活動を開始。やがてデジタル・ファブリケーションを前提としたデザイン領域と接続する。2012-19年、慶應義塾大学SFC准教授。『サーキュラーデザイン』『クリティカルデザインとは何か』など著書、訳書多数。経済産業省「ファッションの未来研究会」座長をつとめた(2021年)。